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丁字頭勾玉

最終更新日:2023年8月30日

■発見の経緯

 奥尻島の勾玉は、昭和51年、青苗遺跡の発掘調査で発見されました。
 青苗遺跡は奥尻島最大の遺跡で、奥尻島南部、青苗地区の海岸段丘上に位置しています。古い時代では縄文時代早期(約8,000年前)から、擦文時代後期(約1,000年前)までのさまざまな時代の遺構・遺物が発見されている遺跡です。
 勾玉は青苗遺跡の東側、海岸段丘の縁で見つかった墓から出土しました。墓は石囲いがあり、この時代の北海道地方の墓としては独特のつくりになっています。墓からははっきりした人骨は検出されませんでしたが、その痕跡は残っていました。
 勾玉は、被葬者の胸のあたりから発見され、勾玉の他、ガラス玉、水晶玉、水晶製切子(きりこ)玉、石製玉も同様の位置から見つかっています。頭部の上の方からは鉄製の直刀が発見されました。

■勾玉の特徴

 勾玉は長さ5cm、幅2cmで、全国的に見ても大変大きいものです。また頭部に刻文がきざまれており、この特徴をもつものを
丁字頭勾玉(ちょうじがしらまがたま)といいます。
 石材はヒスイ。しかも大変美しい緑色のヒスイです。原石産地を鑑定したところ、原石は新潟県糸魚川産であることが判明しました。国内において発見されたヒスイの勾玉の多くは糸魚川産であると言われています。

■勾玉はどこから来たか

 糸魚川産の原石を用いている大形ヒスイ勾玉は近畿地方に集中する傾向があり、さらに丁字頭勾玉自体が近畿地方に多く出土しています。
 時代的には、古墳時代(紀元3~6世紀)の遺跡からの出土が大半を占めます。このことから、本島出土の勾玉は古墳時代に於ける近畿地方で使用された遺物である可能性が高いということが言えましょう。

■いつ島にもたらされたか

 本島出土の勾玉は、ガラス玉や水晶玉、石製玉、水晶製切子玉とともに一つのネックレスを形づくっていたと考えられます。
 これらの玉類は、北日本で、古墳時代後期(紀元6世紀)頃から多く発見される傾向にあります。このことから、この勾玉が奥尻島にもたらされたのは古墳時代後期以降と考えられます。

■“誰”が所有していたか?

 現在発見されている丁字頭勾玉の約8割は、古墳の副葬品として発見されたものです。丁字頭勾玉が副葬された墓からは鉄製の直刀が副葬され、その近くからは土製の鏡模造品らしきものも出土しました。
 勾玉をはじめとする多くの玉類とともに、刀を副葬する習慣は古墳の副葬品に多く見られます。このことから本町出土の丁字頭勾玉の所有者は古墳の被葬者と共通する副葬品を持ちうる、それ相応の身分、あえて言うならばその土地の統治者クラスの人間が所有していたと考えられるのです。 
  • 青苗遺跡で出土した「丁字頭勾玉」

  • 出土時の状況

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教育委員会事務局
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