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奥尻島が元祖、発祥の 「 三平汁 」

最終更新日:2023年8月30日

「 三平汁 」 は郷土食 ・ 伝統食


 「 三平汁 ( さんぺいじる ) 」 とは、塩蔵の魚と野菜を具に、魚から出る塩味を生かした汁物で、奥尻町をはじめ、檜山地域
を代表する 郷土食 ・ 伝統食 のひとつです。
 その昔、 「 北海道の春はニシンで明ける 」 といわれ、とくに江差沖や松前沖はニシン漁場として栄えており、 「 三平汁 」 が多
く食べられていたのもこの檜山地方や道南地域でした。
 江戸時代の記録によると、調理法は今とは少し異なり、ニシン、ハタハタ、タラ、カレイなどを内臓ごと塩漬けにしておき、たまった魚汁で野菜を煮込む料理だったそうです。
 しかし、臭いが強いのでしだいに魚の身を使うようになり、塩や糠で漬け込んだ 「 すしニシン 」 や 「 糠ニシン 」 が主流となり、
こうして漁村だけでなく、北海道の郷土料理として定着していったそうです。
 なお、昭和20年頃の檜山地方の漁村部では、 「 三平汁 」 が
日常的な夕食のメニューとして食べられていました。
 その頃の 「 三平汁 」 は、汁といっても水分は少なく、ジャガイ
モ( 馬鈴薯 ) がたくさん入った具だくさんの汁物であったといい
ます。
 米が貴重だった当時は、馬鈴薯は主食として三食で食べられ
ており、「 三平汁 」 は馬鈴薯を飽きずに食べる工夫であったそ
うです。

季節に応じた旬の 「 三平汁 」


 「 三平汁 」 といえばニシンやサケが始まりといわれていますが、奥尻町では現在、 ホッケやタラの 「 三平汁 」 が主流となっています。
 また、奥尻町以外での現在の 「 三平汁 」 は、ホッケやタラだけでなく、今でもニシンやサケを使っている地域もあり、また、塩漬けや糠漬けの魚だけでなく季節ごとの魚が使われたり、塩味だけでなく味噌味や酒粕入りもあるなど、バラエティに富んだものとなっています。
 「 三平汁 」 の具といえば、塩蔵の魚はもちろん、ダイコン、ジャガイモ、ニンジン、タマネギなどを思い浮かべますが、その地域や家庭によって入れられる具は様々です。
 今では冬の鍋料理ともされていますが、もともとは漁師の毎日のおかずや味噌汁がわりに作られていたもので、季節ごとに旬の 「 三平汁 」 を作っていたものです。
 基本的には塩蔵の魚と野菜を組み合わせますが、春は山菜をたっぷりと使った 「 フキ三平 」 や 「 セリ三平 」 、夏には 「 菜っぱ三平 」 や 「 ササゲ三平 」 、収穫の秋には 「 カボチャ三平 」 や 「 ダイコン三平 」 などを作ったそうです。
 冬を代表するのはやはり 「 ニシン三平 」 や 「 サケ三平 」 ですが、奥尻町では何といっても冬は 「 タラ三平 」 が美味しいです。

様々な 「 三平汁 」 の名前の由来


 「 三平汁 」 の名前の由来には様々な説がありますが、最も古いものとしては、松前藩の始祖・武田信広が享徳3年 ( 1454年 ) に蝦夷地 ( えぞち=今の北海道 ) に向かう途中で嵐にあい、奥尻島に漂着した際に、 「 斉藤三平 ( さいとうさんぺい ) 」 という島の漁夫が、塩蔵ニシンと貯蔵野菜の煮込み汁を作って食べさせたことが 「 三平汁 」 の始まりといわれています。 ( 説1 )
 また、松前藩の殿様 ( 藩主 ) が狩りに出てお腹が空き、 「 斉藤三平 」 という漁師の家で食事を頼んだところ、あり合わせのもので仕立てた汁が殿様にお気に召したことから、 「 三平汁 」 と呼ばれるようになったという伝承があります。 ( 説2 )
 また、秋田名物の 「 しょっつる汁 」 を真似てつくり、松前藩の藩主をもてなした武士が 「 斉藤三平 」 ということから、この名がついたという説もあります。 ( 説3 )
 さらには、19世紀中頃に南部藩士であった 「 斉藤三平 」 が、上磯地域で大勢の食客にサケの頭をぶつ切りにして野菜を入れて食べさせたところ評判がよく、その後様々な魚を入れるようになり、 「 三平汁 」 となったという説もあります。 ( 説4 )
 このように 「 三平汁 」 説のルーツをたどると、興味深いのは 「 斉藤三平 」 という人物名がどの説にも登場しており、この4名の 「 斉藤三平 」 は果たして同一人物なのか、あるいは偶然の同姓同名なのかは、いまだに判明していません。
 しかしながら、当時の漁師が苗字を持っているという事実に疑問があること、また、 「 斉藤三平 」 という人物は漁師ではなく南部藩の家臣として実在し、蝦夷地の開拓に渡っていたこと、奥尻島に渡っていた彼は顔が広く、後に津軽の海を越えてやってきた人たちにいちいちご馳走するのは大変と考え、塩サケの頭と野菜を煮込んだ汁を振舞っていたという話から、この奥尻島での振舞っていた汁を 「 元祖 」 「 三平汁 」 とする説が有力視 されています。 ( 説5 )
 それを裏付けるようにこの 「 三平汁 」 は、当時としても奥尻島で手に入れやすく、しかも安価な具材 ( 魚や野菜 ) を使用していること、魚を保存するための塩蔵技術を奥尻島で行っていたこと、比較的簡単に調理できることなどを考慮すると、来客用に、あるいは蝦夷地の開拓の渡航途中に奥尻島に立ち寄った屯田兵や人足たちの賄い料理として供されていた可能性が十分に高いことから
(説5)の 「 南部藩の家臣 ・ 斉藤三平 」 が奥尻島でつくった汁が 「 三平汁の元祖 」 、あるいは 奥尻島が 「 発祥の地 」 といわれているゆえんで、そこから北海道各地に広まったとみられています。
 このほか、17世紀の初め、有田焼の始祖 ( 陶祖 ) であった 「 李三平 」 が焼いた皿がもっぱら使われたことから、 「 三平汁」
となったという説もあります。 ( 説6 )
 また、記録されているものとしては、天明4年 ( 1784年 ) に江戸の狂歌師 ・ 平秩東作 ( へづつとうさく ) が、 「 東遊記 」 に 「 サンヘイと云うは、塩蔵の魚と菜大根を煮たるものを云 」 と記したのが最も古く ( 説7 ) 、また、旅行家の 菅江真澄 ( すがえますみ ) も寛政元年 ( 1789年 ) に 「 えみしのさへき 」 で、 「 ニシンの子のおかずに 『 さんへ 』 というものをつくって、おあがりなさいとすすめてくれた。サンペ汁、あるいはマクリ汁、カボシ汁といって、様々の魚を使った汁をいつもさかんに作っていた 」 ( 説8 ) と記述しています。
 このように、 「 三平汁 」 の名前の由来はいろいろな諸説がありますが、どれが真実かを断定できるものはありません。
 しかし、松前藩や南部藩という地名、三平皿の発祥時期などを考えると、相当昔から食されていたことだけはわかります。
 少なくとも、江戸時代末期には既に 「 三平汁 」 が食されていたことに間違いはなく、 「 三平汁 」 は歴史上でも永く愛され、食されている食べ物といえます。

奥尻島が元祖、研究会が発足


 奥尻町では、平成17年10月に調理師会や行政関係者を含む有志が集まり、地元の 「 元祖 ・ 三平汁 」 を見直し、盛り立てていこうと、 「 奥尻島元祖 『 三平汁 』 研究会 」 を発足させました。
 北海道を代表する郷土食 「 三平汁 」 の起源には諸説がありますが、奥尻島が発祥という説が有力といわれている中、その三平汁誕生のストーリーの整理や研究、これが 『 元祖 』 というレシピを確立し、地域づくりや町おこしの起爆剤としての 「 三平汁 」 をアピールしていくことが研究会の目的です。
 具体的には地元の魚や野菜を使った 「 三平汁 」 を、町内の旅館や民宿、飲食店などで提供していくことにより、地産地消の推進や観光振興を図ることと、 「 三平汁 」 に関する様々な説や言い伝え、関係資料、はては噂話などを整理、調査、研究し、 「 三平汁発祥の地が奥尻島 」 、 「 奥尻島の三平汁が元祖 」 であることを立証していくという大きな目標がありますが、とはいえ、研究会の代表者を 「 鍋奉行 」 、副代表を 「 同心与力 」 と呼んだり、活動は和気あいあいで、遊び心たっぷりの研究会です。
 でも、他の町でも 「 わが町こそは元祖 」 と名乗り出てきてもらい、いずれは 「 三平汁サミット 」 を開催したいという声が出るなど、会員の意欲は熱いものがあります。
 なお、同研究会では、研究に研究を重ねて 「 元祖 ・ 三平汁 」 のレシピを完成させ、平成18年4月16日にそのお披露目試食会を開催しました。
 試食会では、 「 元祖 」 と 「 現代風 」 の2種類の 「 三平汁 」が用意され、雨天にもかかわらず集まった一般町民約60名によって試食されました。
 その成果は、まず 「 元祖 」 のものは糠ホッケが使用され、基本は魚から出る塩分のみによる味付けであったが、意外にも 「 かなりの良い味が出ており、これでも十分に美味しい 」 と評判でした。
 続いて 「 現代風 」 の試食では、材料は基本的に同じですが、塩と昆布だしなどで味を調えたものを 「 いつも食べている味なので美味しい 」 という声が大半でした。
 しかし、 「 元祖 」 が思った以上に評判が良く、口々に 「 元祖でも十分いける 」 などの声が上がっていました。
 また、今回の試食会では、三平汁の起源を語り口調でまとめた 「 三平汁ものがたり 」 を紙芝居でみせたり、のぼりやキャラクターデザインも展示されるなど、会員みんなが楽しみながら活動していたのが印象的で、今後の活動の広がりを予感させるものでした。
 なお、この研究会の趣旨に賛同する奥尻町内の飲食店では、平成19年5月からのぼりが立てられ、メニューとして三平汁が食べられるようになりました。
 奥尻島には美味しい海産物がたくさんありますが、こうした素朴な伝統食を、その背景にあるストーリーや歴史とともに楽しむのも良いのではないでしょうか。

「 三平汁 」 に関する詳しいお問い合わせ先


奥尻町役場地域政策課 商工観光係
 電 話:01397-2-2351(直通)
 電 話:01397-2-3404(課直通)
 FAX:01397-2-3445

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